断言します——三十年の不調は、
「性格」でも「根性」でも「気の持ちよう」でもありませんでした。
朝、なかなか起き上がれなかった。慢性的な下痢は、30年止まらなかった。二十代の頃には、コリン性蕁麻疹の症状で抗ヒスタミン薬が手放せなくなった。円形脱毛症も、肺気胸も経験した。ずっとストレスを感じ、眠れず、薬局の睡眠導入剤に頼っていた時期もある。
そして、症状が最悪だった2020年の冬——薬が全く効かないアレルギー症状に苦しみ、地元の病院を何軒も回った。だが、私が受け取ったのは「乾燥している」という一言だけだった。病名を告げられることは、ついになかった。
これは、そこから私が「自分の体との対話」を始め、栄養にたどり着き、健康相談NOZOMIを立ち上げるまでの話です。少し長くなります。同じように、原因のわからない不調のなかにいる方に、届けばと思います。
「みんな同じだから」の呪い
最初の"違和感"は、学校の給食の牛乳だった。飲むと、必ずお腹がゴロゴロした。飲みたくない、と言った。返ってきた答えは決まっていた。
「牛乳は基本ゴロゴロするもの。
みんな同じだから」
そう言われて、私は毎日それを飲み続けた。冬になれば、ココアにして。「健康にいい」「身長が伸びる」——そんな言葉と一緒に。今思えば、あれは「みんな同じ」ではなかった。私の体が、乳製品に合っていなかっただけだ。
中学に入ると、症状は少しずつ増えていった。朝、起き上がれない。慢性的な下痢。理由のわからない強いストレス。腕と頭に、一時的にアトピーが出たこともあった。今にして思えば、それは"起立性調節障害"だったのだと思う。だが、当時そんな言葉は誰も口にしなかった。私は、ただ「怠けている」ように見えていたはずだ。
崩れていく体、寝つけない夜
高校に上がると、お腹の不調はさらに激しくなった。ストレスも大きくなり、夜は寝つくのが難しくなった。円形脱毛症になった。ある日、肺気胸を発症した。二十歳のときには、もう片方の肺も気胸になった。
それらは、それぞれが独立した"別の病気"に見えていた。私自身もそう思っていた。医師も、そう扱った。だが今、振り返れば——お腹の不調も、脱毛も、肺の弱さも、眠れなさも、根っこは同じところにあったのだと思う。体の土台が、静かに崩れていた。
薬を飲まないと、眠れなかった
二十代に入ってから、コリン性蕁麻疹の症状が出始めた。汗をかくと、体中がピリピリと痛む。皮膚科に通い、抗ヒスタミン薬を処方された。同じ頃から、薬局で買える睡眠導入剤に手が伸びるようになった。飲まないと、眠れなかった。
食生活は、ほぼコンビニ弁当、スーパーの惣菜、外食だった。手作りのご飯を食べる習慣はなかった。それが体にどう影響しているかを、考えたこともなかった。
海を渡って、「半分だけ」軽くなった体
26歳のとき、私はオーストラリアとニュージーランドに、あわせて1年半住んだ。日本を客観的に見られるようになった。人間関係や社会からくる重たいストレスが、驚くほど軽くなった。夜も、少しずつ眠れるようになった。考え方は、以前より楽観的になった。
それでも、お腹の不調だけは、何も変わらなかった。食事は自炊もしたが、基本はパスタ、カレー、外食の繰り返し。環境が変わっても、口に入れているものが変わらなければ、体は変わらない。あのとき、私はまだ、それに気づいていなかった。
帰ってきた、あの重たさ
2016年、日本に戻った。友人と会う時間が増え、日々が動き出したように見えた。ところが数年経つうちに、あの「重たいストレス」が、少しずつ戻ってきた。よく見ると、そのほとんどが人間関係から来ていた。
それまでの私は、「友人は絶対に必要でかけがえのないもの」と信じてきた。だが海外で身につけた"距離を取る"視点で見つめ直したとき、そう思えないものも混ざっていることに気がついた。関係を、思い切って整理した。気持ちは、驚くほど楽になった。
それでも、お腹の不調は、まだ止まらなかった。
病院で「乾燥している」と言われて、終わった
2020年の冬。アレルギー症状が、これまでで最悪の状態になった。薬を飲んでも、まったく効かない。皮膚は真っ赤に腫れ、痒みで夜も眠れない。私は必死で、地元の病院をいくつも回った。
内科では、原因の話は何もされないまま、薬だけが出された。皮膚科では、こう言われた。
「乾燥していますね」
病名を告げられることは、ついになかった。あの日々、私はもう、病院というものを信じられなくなっていた。薬を飲んでも効かない。原因も、教えてもらえない。どこに行けばいいのかもわからない。ただ、皮膚が赤く腫れ、痒みで眠れない夜だけが、静かに続いていた。
「健康だと思って飲んでいたもの」が、真犯人だった
それでも、このまま何もせずに、症状に飲み込まれていくわけにはいかなかった。誰も答えをくれないなら、自分で探すしかない。私は、ネットの深いところまで、自分の症状について毎日、調べ続けた。
そしてある日、たどり着いた。その冬、私が「健康だと思って」毎日3〜4杯、3ヶ月にわたって飲み続けていた市販のレモネード。その粉末には、アスパルテームとアセスルファムKという2種類の人工甘味料が入っていた。
私は普段、甘いものはほとんど口にしない。だから、まさか"酸っぱい飲み物"の中に、これほどの甘味料が仕込まれているなんて、思いもしなかった。今振り返れば、確かに——酸っぱいと同時に、妙に甘かった。
添加物のせいで、私の味覚は麻痺していたのだ。
3日間、体が教えてくれたこと
レモネードだけじゃないかもしれない。もっと根本から、体をリセットしたい。そう思って、私はミネラルファスティングという方法にたどり着き、初めて実行してみた。
3月8日から始めた。3月9日、私は目を疑った。あれほどしつこかった蕁麻疹が、ほとんど消えていた。3月10日、症状はゼロになった。信じられなかった。
3月10日、症状ゼロ。
10年以上、抗ヒスタミン薬なしでは過ごせなかった蕁麻疹が、
食べ物を絶っただけで、一時的に消えた。
そして3月11日、食事を再開した。すると、その日から——また蕁麻疹が出始めた。
この一連の"実験"で、私は確信した。私が毎日食べているものが、私の体を作り、そして壊していた。薬でも、気合いでもない。口に入れているもの、それだけだった。
新幹線に乗って、都会の栄養クリニックへ
レモネードだけじゃない。他にも、私に合っていない食べ物があるはずだ。そう考えた私は、地元では扱う医療機関を一件も見つけられなかった検査——遅延型アレルギー検査(IgG)を、なんとか自分で手配して受けた。
結果を持って、私は地元から遠く離れた、都会の栄養クリニックを頼ることにした。新幹線に乗って、片道何時間もかけて通った。
そこで初めて、SIBO(小腸内細菌増殖症)、リーキーガット症候群、ヒスタミン不耐症——地元では聞いたことのなかった言葉たちに、次々と出会った。私の体で起きていたことに、ようやく名前がついた。そして、腸を修復するというアプローチを教わった。
30年続いた下痢が、消えていた
腸を修復するために、私は食事のスタイルを何度も変えた。合わない食品を減らし、体の材料になるものを丁寧に選び直した。半年以上、試行錯誤が続いた。
2022年の1月、ある日、私はトイレで、これまで経験したことのないほど、まともな便を見た。形があった。臭いも、それまでとは違った。
正直に書きます——私は、そのとき、少し感動しました。三十年、私はこれを一度も見たことがなかったのだから。
30年ぶりに、お腹が静かだった。
中学から続いていた慢性の下痢が、ようやく止まった。
——私は、腸が壊れたまま生きてきた三十年だったのだ。
そして、蕁麻疹まで消えた
下痢は止まった。だが、コリン性蕁麻疹だけは、時々、意地悪のように顔を出してきた。私は、腸内フローラ移植という選択肢を知り、実行することにした。腸の中の菌のバランスを、内側から整え直していく方法だった。
その夏、私はそれを6回、受けた。ある回のあと、体の内側の感覚が、急に変わる瞬間があった。
しつこかった蕁麻疹が、消えた。
十年以上、私の生活の一部だった蕁麻疹が、
ようやく、私の毎日から離れていった。
これで、三十年の物語は終わった——と、そのとき私は思っていた。
自分の判断だけでは、届かなかった
2022年の後半のこと。三十年の物語は、これでようやく終わった——と、そのとき私は思っていた。だが、体には、まだ気になる部分が残っていた。もう一歩だけ、整えたい。
私はそれまで、必要なことは自分で調べ、自分で判断して、体を整えてきた。だから今回も、同じように、自分の見立てで、一手を打った。
結果として——その一手は、あのときの私の体には、合っていなかった。
体の状態と、選んだ方法と、それを行うタイミング。この三つが正しく噛み合ってはじめて、"体を整える"は思ったとおりに進む。私はあのとき、そのどれかを、読み違えていた。
消えていた蕁麻疹が、また、出るようになった。"整えた腸"は、こんなにも簡単に、崩れる。私はここで、痛みとともに、ひとつのことに気づいた——
腸は、整えて終わりじゃない。
整え「続け」なければならなかったんだ。
分子栄養学との出会い——ようやく、地図が手に入った
2023年、私は分子栄養学(オーソモレキュラー)を、本格的に学び始めた。それまでの私は、断片的に自分で調べ、試し、良くなり、また崩れて——を、ひとりで繰り返してきた。
体系立てて学び始めて、私は初めて、「なぜ、あの症状が出ていたのか」「なぜ、あれで良くなったのか」「なぜ、あのとき、私の見立てが届かなかったのか」の答えが、一本の線でつながるのを感じた。
分子栄養学を日々の食事に取り入れるようになってから、睡眠が変わった。メンタルが変わった。疲れにくくなった。肌が変わった。すべてが、少しずつ、でも確実に、良い方向に動いていった。
散らばっていたピースが、
一枚の地図になった。
対症療法ではなく、体の土台を作り"続ける"生き方。
そのすべてを、分子栄養学は言葉と数字で見せてくれた。
30年のあと、私に残ったもの
※ 代表個人の体験・感想です。症状の変化には個人差があり、診断・治療・効果を保証するものではありません。
三十年、私を苦しめてきたあらゆる不調は、大きく変わりました。
二十代の頃、抗ヒスタミン薬なしでは1日も過ごせなかったコリン性蕁麻疹は、今、ほとんど出ません。朝、体が動く。夜、眠れる。三十年続いた下痢は止まった。心も、以前より、ずいぶん静かです。
三十年、私を苦しめた不調は、私の「性格」でも、「根性」でも、「気の持ちよう」でもなかった。
体が悲鳴を上げていた。
ただ、それだけのことだった。
もちろん、薬が必要な時もあります。それでも、その悲鳴を根本から静めていったのは、気合いではなく——日々、口にしているものでした。環境を変え、人間関係を整え、食べるものを変える。そのすべてが揃って、ようやく体は本来の状態を取り戻していく。それが、私が三十年かけて知ったことのすべてです。
薬が必要な時もある。
でも、体そのものを作るのは——
日々、口にしているもの。
健康相談NOZOMIを、立ち上げた理由
2024年2月、私は健康相談NOZOMIを立ち上げました。
同じように、地元の病院で答えが出ずに苦しんでいる方が、日本中にたくさんいることを知っていたからです。私自身、あの2020年の冬、地元の病院で「乾燥している」と言われて絶望した一人でした。「一般的な医療で解決しなかった方の、栄養面からのサポート」——それが、健康相談NOZOMIの立ち位置です。
一度良くなった体も、判断を一つ誤れば、簡単に崩れることがあります。だからこそ、"整えて終わり"ではなく、"整え続ける"ための伴走が必要です。分子栄養学を軸に、あなたの体と、あなたの日々に、丁寧に寄り添いながら、"あなたの体に必要な食事と栄養"をご提案していきます。
もし今、あの日の私と同じ場所に立っている方がいれば——ぜひ、初回の無料カウンセリングで、体で起きていることを、栄養の視点から整理してご提案します。全国どこからでも、オンラインでお話できます。
★約30分。ご予約後、当日はカメラのオン・オフどちらでもOK。事前準備も不要です。

